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東急バスギャラリー 別館

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2016年 10月 08日

廃線アーカイヴ 渋70 野沢線

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【路線データ】

>>>路線の歴史>>>


 開設当初は、渋70と同じ渋谷駅~野沢龍雲寺として開設されたようです。その後、昭和31年2月から都営バスと相互乗り入れを開始し、新宿駅東口まで乗り入れることとなります。その当時は、不動前営業所で所管していましたが宿97が廃止される昭和52年までは目黒と大橋で所管変更があり系統番号が付与された当時は、目黒営業所の所管でした。その当時、目黒営業所では宿50 新宿駅~目黒区役所(現:水道局目黒営業所)も目黒営業所で所管していましたので新宿駅へ乗り入れる路線は、宿91も含めた3路線のうち、2路線が目黒営業所所管ということになります。渋70となってからは、しばらく大橋営業所の所管で中目01への短縮やルートの変更がありましたが、平成11年8月にトランセ化とともに下馬営業所の所管となりました。路線の再編を繰り返し、現在は、黒09 目黒駅~野沢龍雲寺に変更され運行されています。現在は、中目01も黒09に統合され土曜日の1本のみの運行となっています。

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 相互乗り入れ時代(宿97)では、新宿駅東口乗り入れのため、渋谷からは明治通りを山手線と平行して走行するルートでした。また、明治通りを走行する都営バスの池86と新宿近辺まで同じルートでした。新宿駅周辺では、ループ運行があり、新宿追分や歌舞伎町を経由していました。宿97時代、渋谷駅東口のバス停は、現在の都営バス田87のあたりに新宿方面があり、世田谷野沢方向は昭和47年3月現在、東急文化会館側銀座線ガード下付近(昭和50年9月の資料では、現在のビックカメラの向かいとなっています。新玉川線の建設の進捗に伴い移設されました)にありました。
 渋70のルートとしては、全長6.2Kmで渋谷駅東口から渋71と同じルートを正覚寺前まで走行、その後は中目黒駅を経由し現在の中目01と同じルートを走行しますが下馬一丁目から先はループではなく往路復路とも世田谷観音経由でした。(中目01も平成5年3月まで同様)
 ルート全体を通して、他の路線と重複ルートのみとなっていますが、主要な駅を経由し通学・通勤の足となるルートとなっています。黒09も目黒区役所が中目黒に移転するのに伴い誕生しましたが、乗客も増え当初小型車の運行であったものがすっかり中型車での運行となっています。これも時代の変化とともに、利用者も変わっているということあらわれのようです。

>>>発終発等の変遷>>>

【宿97】
 昭和47年 3月現在    (始発:新宿駅東口7:08 野沢龍雲寺6:30  終発:新宿駅東口21:38 野沢龍雲寺20:58)
                  運転回数 147回   運転間隔 朝3~4分 昼8分 夕4~5分
【渋70】
 昭和62年 9月現在    (始発:渋谷駅10:00 終発:渋谷駅22:35  昼12分 夕10分 所要時間21~30分)

 バスラマインターナショナル「東急バスのすべて」では、中目01の運転回数76.5回となっており運転間隔は 朝7~9分 昼14~16分 夕11~12分と記載されています。再編されるごとに、本数は減少、運転間隔も開くといった状況となっています。

【野沢線 アーカイヴ】 画像提供:O1000さま、K1655さま ご提供ありがとうございます。

 O1000さま、K1655さまからご提供いただいた貴重な画像と管理人渋72が撮影した画像で在りし日の宿97・渋70・中目01を振り返ります。
 ご提供いただいた画像は、往年の東急バスの姿がなんとも懐かしい画像の数々です。宿97は、目黒営業所所管の時期もありましたが、大橋時代に撮影された画像が多くあります。
 画像は、大橋営業所所管時代までの画像となっています。

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 駒沢通りの坂を力強く登っている2灯式の4R110、O958です。この時代は、宿97として新宿駅東口までゆくバスがここを走っていました。相互乗り入れを都営バスと実施していましたので、都営バスもここを走行していました。今では、想像もつきません。
 画像のO958は、玉電代行輸送用に製造された富士重ボディのバスで時代を代表するバスです。方向幕も両方向表示で、これまた時代を感じます。
撮影:O1000さま

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 こちらも駒沢通りを走行する宿97ですが、同じ4R110でも北村ボディです。現在は、標準となっているフォグランプもこの時代でも装備されていましたが、その後最近まで東急バスではフォグランプなしが、標準装備でした。また、北村ボディの車両は東急バスでは日産のほかいすゞにも架装された車両が相当数存在していました。
 撮影された場所は、ちょうど日比谷線のトンネルを抜けたあたりの位置でしょうか。道路の雰囲気は現在も変わっていません。
撮影:O1000さま

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 昭和56年、大橋に9台導入された日野RJです。このRJは、導入当初渋22の専用車として活躍していましたが、渋22廃止後は目黒や高津、末期は虹が丘に移籍していきました。大橋在籍時代の画像ですが、渋70の表示をした貴重な画像です。実際には、渋70では大型車が使用されており、中型車が運行する姿は見ることがありません。(実際には、使用していた可能性もあり)。
撮影:K1655さま

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 渋70が廃止される際のチラシです。この時代、合理化が数多く実施されていたこともあり、バス停の貼り紙や看板以外に車内の出口付近にこのチラシがぶら下がっていました。この路線の廃止の前段として、昭和59年2月には中目01が誕生し、路線の一部が短縮されていましたが、この再編によりすべて中目黒駅折返しとなりました。廃止区間は、渋71と同じルートであったこともありバスルートそのものとしては、実質廃止ではありませんでした。しかし、渋70が渋谷駅まで乗り入れていた際の乗客数は、非常に少なく廃止もやむなしという状況でした。
渋72所蔵

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 世田谷野沢の折返し所の風景です。場所は、サミットストアのすぐ横です。この頃は、東急バスのほか都営バスも折返所として使用していました。平成5年にこの折返所を廃止し、中目01は現在のようにループ運行となりました。
撮影:渋72

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 大橋時代のO827。登場して、それほど経過しないうちにTOX-BOX号となりました。中目黒GTができるまでは、バスベイがなく正覚寺前で待機していました。世田谷野沢から平成元年12月に野沢龍雲寺に改称されましたが、その直後に撮影したものです。正月の松飾が右側につけられています。
撮影:渋72   平成2年1月5日

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 こちらは、貴重な宿97のリア幕です。この日野RE100は、昭和50年度車であったので、撮影されたのは昭和50年代後半とのことですが、宿97の方向幕を装備していたようです。この宿97のほか、玉電代行輸送の渋02などの幕も装備されていたとのことです。もし実際に使用されていたとすれば新車に近い状態で使用されていたことになります。
撮影:K1655さま

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 廃止間じかの大橋営業所で撮影した一枚です。比較的新しい車両では、版を作るときのミスなのか「中目01」ではなく「中目黒01」と系統表示が違っていました。画像は、O1731ですが、その前の世代の車両では系統の文字が通常よりも小さいタイプの表示で異彩を放っていました。その系統表示を継承して?当時新しい英字併記の系統の上に経由地が書かれたタイプのものでも存在していました。
撮影:渋72   平成14年7月14日

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 同じO1731ですが、側面の方向幕表示です。
撮影:渋72   平成14年7月14日

平成19年12月15日公開
平成28年10月8日更新

by shibu72 | 2016-10-08 18:24 | 廃線アーカイヴ


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