【路線データ】
>>>路線の歴史>>>
東京オリンピック開催と同時に、駒沢営業所が昭和39年10月に開設されました。その際、駒沢営業所~大森駅間が公園線として開設されましたが、その後昭和42年、環七線(新宿駅西口~大森操車所)が開設されたにの伴い、目黒駅~駒沢公園間が新設され目黒営業所に移管されました。目黒通りから駒沢公園へ向かう路線として、15年余り活躍しました。廃止日の昭和59年1月31日は、別れを惜しむように雪が降っていたと記憶しています。
目黒駅から中根町までは、他の路線と併走し、駒沢大学駅前までは渋11と同じルート、そして246を少し走り等11や東82と深沢不動まで併走、そして恵32のルートをとおり駒沢公園を一周する路線でした。一応、駒沢公園が終点ということでしたが、国立第二病院~駒沢~深沢不動~国立第二病院は、 片道ループ運行でした。晩年は、併走ルートが多かったせいかお客は少なかった記憶があります。
【運転回数】
【黒04】
昭和47年 4月現在 (始発:目黒駅6:59 駒沢公園6:30 終発:目黒駅21:30 桜新町20:56)
昭和54年 4月現在 (始発:目黒駅6:31 終発:目黒駅21:30)
昭和54年 9月現在 (始発:目黒駅7:03 終発:目黒駅21:30 朝13~14分 昼22分 夕17分)
昭和55年現在 48回
運転回数は、ほとんど変わらないまま廃止だったと記憶していますが、目黒駅始発の時刻は30分程度繰り下げられたりもしています。
しかし、昭和55年現在で48回あり当時、あった黒03の28回を上回るものがありました。
【黒04 アーカイヴ】 画像提供:まこっちゃんさま、Nさま、O1000さま
まこっちゃんさまからご提供いただいた貴重な画像で在りし日の黒04を振り返ります。
目黒駅の黒04のりばは、黒02・03とともに現在の黒02の位置でした。いろいろな資料や路線図などでも「駒沢営業所」ゆきとなっているものが見受けられますが、管理人の記憶の中ではずっと「駒沢公園」ゆきです。
ループ区間は、駒沢公園を一周する片道ループでしたが、終点は一応、駒沢公園ということで駒沢公園のバス停で運行調整する姿もあった記憶があります。駒沢公園へ向かうお客の多くは、学生だったと記憶していますが、陸上競技会といった学校行事が実施されていた関係かと思われます。現在の東京医療センターは、国立第二病院として昔からありましたが、そこへむかう高齢者は少なかったと記憶しています。
使用される車両は、比較的古い車両が多く使用されており、廃止前後のまだ使用されていたRB10などの姿もみることができました。

田向公園付近での撮影でしょうか。目黒通りを快走する黒04に充当中のM1180。駒沢公園表示の方向幕も懐かしいです。方向幕に系統番号が入る前の時代のもので管理人にとっては、子供の頃よく見かけた光景です。貴重な画像ありがとうございます。
撮影:まこっちゃんさま

こちらも同じ黒04ですが、中延から移籍でやってきたM1242が充当中のシーンです。こちらは、清水での撮影とお見受けしますが、うしろに写る風景も現在とは、大きく変わっています。この画像を拝見したときは、当時を思い出し非常にうれしくなりました。
撮影:まこっちゃんさま

こちらは、サイドからの撮影画像です。当時はまだ、側面方向幕の普及が進んでいなかったことと、黒04には比較的古い車両が当てられていたためか、管理人としてはこちらのような系統板表示の記憶のほうが強いです。画像に写る経由地表示も目黒駅-清水-都立大学駅前-国立第二病院-駒沢大学駅-駒沢公園といたってシンプルなものとなっています。
撮影:まこっちゃんさま

私の記憶の中にある黒04とぴったりな画像で感激しました。撮影は、国立第二病院付近ではないかと思われるM1726(改番まえはM807)の金産4R94。
廃止直前は、目黒の中でも古めの車両が多く使われていたと記憶しています。お客さんも少なく、本数も少なめでしたが、駒沢公園に行くには非常に便利な路線でした。
撮影:Nさま

大鳥神社付近での撮影ですが、背景が当時の雰囲気を思い出させます。北村ボディの4R110ですが、M828でリアの方向幕は、塗装されているように見えます。この時代の車両は、鉄板で塞がれたものや塗装されたものが多く存在していました。とても懐かしくなる画像です。
撮影:O1000さま
平成17年11月19日公開
平成28年10月8日更新